沖縄の世界文化遺産を徹底解析!

沖縄は、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として全部で9か所の遺跡が世界遺産に登録されました。沖縄を代表する観光スポットとして、連日多くの観光客が訪れる沖縄の世界文化遺産を、徹底解析します。

目次 ページガイド

グスクと関連遺跡群が世界遺産に登録された理由

写真

世界遺産に登録されるためには、世界遺産登録基準を満たしているということが条件となります。

沖縄の場合、世界遺産センターが公表している登録基準のうち、3つの基準を満たしているという点が評価され、「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として登録されています。

人類の価値の重農な交流を示すものとしての評価

登録基準には、下記のように記載されています。

ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの

琉球王国は、日本が鎖国を続けている間も、独自のルートを使って世界との貿易を続けてきました。中でも特に中国との交流は深く、文化や建築物、宗教、思想において強い影響を受けながらも、独自に発展を遂げた歴史があります。

こうした琉球王国の歴史や文化が、登録基準を満たしていると認められたわけです。

現存するまたは消滅した文化的伝統・文化に対する評価

同じく登録基準の「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」に、9か所の遺跡群は該当すると評価されました。

たしかに、沖縄のグスク群は、激しい地上戦によって破壊された歴史があります。特に、琉球王国の象徴であった首里城は、徹底的に破壊されました。琉球最高の聖域である斎場御嶽ですら、その敷地内には戦時中、砲丸が撃ち込まれ、今でもそのうちの1つは敷地内にて保存されています。

日本国に属しながらも、独立した独自の文化や伝統を持つ琉球王国だからこそ、登録基準を満たしていると認められたに違いありません。

顕著で普遍的な意義を有する者が直接関連していること

登録基準では下記のような登録基準もあります。

顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの

実際には、この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいとするのが、世界遺産委員会の考えです。この条件に対して登録されている9か所の遺跡群は、まさにその条件を満たしているといえます。

沖縄の9か所の世界遺産の魅力をそれぞれ解説

「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」では、5つの城跡と4つの遺跡によって構成されています。

首里城跡(しゅりじょうあと)

守礼門

首里城は、琉球王朝時代の王城です。

城が建設された詳しい年代はわかっていませんが、発掘調査によって、最古の遺構が14世紀末ごろのものと推定されることから、おそらく、13世紀末から14世紀ごろにかけて建造されたものと考えられています。

ちょうどこのころ、日本では、鎌倉時代末期から室町時代を迎えており、政治的混乱によって政権が大きく変化する時期でもありました。

かつて旧国宝に指定されていた正殿

首里城跡

首里城の正殿は、戦前までは旧国宝に指定されていました。

首里城施設で旧国宝に指定されていたのは、正殿のほかにも、守礼門、歓会門、瑞泉門、白銀門がありました。いずれも、戦災によって消失してしまいました。

本当はもっと広大だった首里城の敷地

激しい地上戦を繰り広げた沖縄戦によって、首里城は徹底的に破壊されてしまいましたが、戦後、復元され、現在は首里城公園として一般公開されています。ところが、本来の首里城は、現在見学ができるものよりも、はるかに広大な敷地を有していたといわれています。

確かに沖縄戦によって徹底的に破壊された首里城でしたが、すべてがかつての姿のままに復元されたわけではありません。旧国宝に指定された白銀門は復元されませんでしたし、戦後沖縄に設置された琉球大学の校舎建設に伴い、戦災によってわずかに残っていた首里城も、完全に破壊されてしまいました。

その後、わずかに残った城壁や建物の基礎の一部のみが残り、これを復元したものが、現在の首里城となっています。

世界遺産に登録されたのは首里城ではない

首里城は、世界遺産に登録されていますが、あくまでも世界遺産として登録されているのは「首里城跡」です。ですから、戦後復元された建物や城壁は、その対照ではありません。

とはいえ、現在一般開放されている復元後の首里城正殿や城壁などは、琉球王国の高い建築技術や独特の文化を感じることができる、貴重な建造物であることは間違いありません。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

今帰仁城跡

今帰仁城は、琉球王国が設立されるよりも前に存在していた北山の国王である北山王の王城です。実は今帰仁城は、首里城よりも大きく、県内に存在する城の中でも最大級の規模を誇ることでも有名です。

今帰仁城を居城とし、北部地方一帯を治めていた北山は、1416年に琉球王国を設立させた尚円志王によって滅ぼされますが、城はその後も統治の要所として引き継がれました。

桜の名所として有名な今帰仁城跡

寒緋桜

今帰仁城跡は、県内でも有数の桜の名所でもあります。沖縄の桜前線は、北部地方から順に南下していくのが特徴。そのため、県内で最も早く桜を見ることができるのも、今帰仁城跡なのです。

特に見ごたえがあるのは、城門から場内中心部へと向かう石造りの階段の左右に植えられている桜並木。1月末ごろから2月初旬にかけて満開を迎えるため、一年の中でもっとも多くの観光客が訪れます。

沖縄のイベント「今帰仁グスク桜まつり」のレビュー

2016.08.22

座喜味城跡(ざきみじょうあと)

座喜味城跡

読谷村にある座喜味城跡は、14世紀初頭にこの地方を治めていた読谷山の按司・護佐丸(ごさまる)が築城した城といわれています。

この護佐丸は、恩納村出身の琉球王国の按司(あじ)で、琉球王国建国の功労者であるにもかかわらず、晩年は謀反を疑われ、自害をもって忠節を全うしたと伝えられる人物です。

見所はアーチ型の石門

座喜味城跡

美しく積み上げられた石垣も見所のひとつですが、なんといっても座喜味城跡の見所といえば、美しくカーブを描く石門にあります。その高い建築技術もさることながら、アーチの先に広がる景色は、まるで時が止まってしまったかのように思えます。

首里城を守るために作られた座喜味城

座喜味城跡の石垣に登ると、首里城が見えるといいます。これは、首里城で何かが起こると、それを知らせるためにのろしが上げられたことと関係しているそうです。

のろしが上がれば、すぐに首里城に駆けつけ対処にあたる任務を任されていた護佐丸。あなたも彼と同じように石垣に登れば、遠くに見える首里城をひたすら見守り続けた護佐丸の想いを感じることができるはずです。

勝連城跡(かつれんじょうあと)

勝連城跡

うるま市にある勝連城は、この地方を治めていた阿麻和利(あまわり)の居城だといわれています。築城されたのは、13世紀から14世紀ごろといわれており、茂知附按司(もちづきあじ)が建てたといわれています。

阿麻和利はクーデターの首謀者

勝連城の最後の城主である阿麻和利。彼は、現在の嘉手納町の出身で、クーデターの首謀者であったといわれています。ただしこれは、当時悪政を強いていた前城主・茂知附按司を倒すために起こしたクーデターといわれています。

護佐丸の自害にも関係していた阿麻和利

中城城主であった護佐丸は、首里城攻略を企てたという疑いをかけられ、自害を持って忠節を示したといわれていますが、この自害をさせたというのが阿麻和利といわれています。

阿麻和利にもかけられた謀反の疑い

阿麻和利の最期も、かつて自害へと追い込んだ護佐丸と同じ運命だったようです。

首里城攻略を企てたという疑いをかけられた阿麻和利は、王府によって差し向けられた越来賢雄が率いる軍によって、攻め滅ぼされたと言い伝えられています。

中城城跡(なかぐすくじょうあと)

中城城跡

北中城村にある中城城は、琉球王国建国の立役者でありながら、謀反の疑いをかけられ自害した護佐丸の居城といわれています。中城村の丘陵の上にたつ中城城は、東側の崖縁を天然の要塞とした、非常に守りに強い構造をしています。

役場として使われていた中城城

護佐丸の居城として使われていた中城城ですが、彼の自害後は、時の政権によって所有者が変わるという歴史を持っています。

護佐丸亡き後、中城王子の居城として使われた中城城は、薩摩藩による琉球侵攻後、番所として薩摩藩が管理することになります。

さらに1879年の廃藩置県後は、中城村役場として利用されることになります。中城城に設置された役場は、そのまま戦前まで利用されたといいます。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

園比屋武御嶽石門

沖縄県指定史跡でもある園比屋武御嶽石門は、首里城のすぐ近くにある、由緒正しい御嶽です。

沖縄には数多く御嶽が存在するのですが、国家レベルとなると、その御嶽はまさに国の聖地。1519年に創建されて以来、琉球王国の国王が首里城を出る場合に、道中の安全を祈願するために必ず立ち寄ったといわれています。

もともとは石門の後ろに広大な森が広がっていた

現在、園比屋武御嶽には、世界遺産に登録された石門のみしか現存していません。でも、琉球王国時代には、この石門の後ろには森が存在しており、沖縄各地に残る御嶽同様、聖地としての姿がありました。

残念ながらこの森も含め石門も、沖縄戦によって大破してしまい、終戦後の1957年に復元、さらに1986年に解体修理し、現在の形となりました。

竹富島出身の西塘によって創建

園比屋武御嶽石門は、竹富島出身の西塘(にしとう)によって創建されました。この西塘という人物は、非常に石工技術にたけた人だったといいます。なにしろ、彼が才能を見出されたのは12歳の時。竹富島に遠征していた琉球王府の大将が、彼の非凡な才能をみつけ、そのまま首里に連れてこられたといいます。

成人後は、琉球王国の宰相色である三司官に仕え、のちに竹富島への帰郷を願い出たおりには、それまでの功績を評価され、武富大首里大屋子に任命されています。それだけでなく彼の死後には、竹富島内に「西棟御嶽」と呼ばれる御嶽が作られ、現在に至るまで地元住民から信仰の対象として親しまれています。

沖縄独自の石造建築が見られる石門

沖縄の伝統的な建造物には、日本と中国の建築様式をさらに発展させた沖縄独自の建築技術が使われているのですが、園比屋武御嶽石門にもその独自の建築技術のあとを見ることが出来ます。

特に屋根の飾りについては、その特徴がよく表れており、琉球石灰岩をふんだんに使った板葺唐破風屋根を見事に表現しています。

玉陵(たまうどぅん)

玉陵

玉陵は、琉球王国第二尚氏王家の墓です。当時の国王である尚真王が、父・尚円王に遺骨を改葬する際に建てたといわれています。沖縄戦によって玉陵も甚大な被害を受けましたが、1974年から3年がかりで行われた修復工事によって、かつての姿を取り戻しました。

奉円館

券売所がある奉円館の地下には、玉陵の資料館が設置されています。館内には、玉陵の概要や玉陵の内部に関する資料が多数展示されています。

注目したいのは、館内に展示されている様々な様式の厨子甕。素焼きの赤焼き御殿型厨子甕や、釉薬を用いて色鮮やかな彩色や装飾が施されている上焼コバルト掛け厨子甕のほか、非常に珍しい乳児用のマンガン掛け厨子甕などを見ることが出来ます。

3つに分かれた室

玉陵は、東室・中室・西室の三つに分かれています。

玉陵の正面に向かって左側にあるのが、国王及び王妃が眠る墓で、反対側にある西室には、国王と王妃以外の家族の墓となっています。中央にある中室は、洗骨(せんこつ)が行われるまでの間、棺を安置する場所となっています。

東の御番所(あがりのうばんしょ)

玉陵は墓陵ですから、法事などで国王が訪れることもあります。その際の国王の控室として使われていたのが、東の御番所です。

現在の建物は、2000年の発掘調査によって、この御番所の周囲には礎石や石敷便所跡のほかにも、中国製の青磁や染付、壺屋焼の陶器の破片などが出土されており、琉球時代当時のこの場所の様子をうかがい知ることが出来る貴重な発見となりました。

識名園(しきなえん)

識名園

那覇市識名にある識名園は、琉球王国の王の別宅といわれています。造園が開始されたのは17世紀中頃といわれていますが、はっきりとした年代はわかっていません。実際に庭園が完成したのは、1799年といわれています。

中国と琉球の折衷様式で建設された琉球庭園

識名園に入ると、首里城とは違った独特の風景が広がっているのを目にすることができます。これは、中国の様式と、琉球独自の様式を組み合わせて作り出されたということが理由にあります。

中国皇帝からの使者をもてなすための展望台

識名園は、中国の皇帝からの使者である冊封使をもてなすために利用されました。そのため、庭園内には迎賓館としての機能が備えられています。

そのひとつが、入り口と反対側の位置に設置された「勧耕台」という展望台です。この勧耕台に立つと、眼下に那覇の街並みを見ることができます。そのため、使者をこの展望台に招き街の様子を見せることで、広大な土地を有する琉球国ということを、強く印象付けさせたかったのではないかといわれています。

斎場御嶽(せーふぁうたき)

斎場御嶽

本当南部の端に位置する南城市の史跡が、斎場御嶽です。「斎場(せーふぁ)」とは、琉球では「最高位」という意味があります。そのため、この場所は、琉球王国最高の聖域といわれています。

もっとも格の高い配所

斎場御嶽には、敷地内に複数の配所があります。その中で最も格が高いのが、「チョウノハナ(京の花)」とよばれる配所です。

この配所は、琉球の国づくりを行った創世神であるアマミキヨ(アマミク)がこの世に降り立った場所といわれています。

かつては男子禁制だった

斎場御嶽は、琉球王国の最高神職である聞得大君が管理する場所。そのため斎場御嶽は、庶民が入り口を越えて中に入ることは禁止されていました。

さらに男子禁制の聖域とされていたため、国家の最高権威者である国王であっても、中に入る場合は、入り口の手前で女装をしなければ入れなかったといいます。

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・・・いかがでしたか?「有名な観光地だから」「世界遺産に登録されているから」という理由で、何気なく足を運んでいる方も多くいらっしゃいます。

世界遺産に登録されるには様々な条件や基準を満たしている必要があります。せっかく世界遺産を訪れるのであれば、「何をしていた場所・どんな事が起こった・誰が住んで(利用して)いた」といった、歴史的な背景を知っているとより楽しむ事が出来ます。

ぜひ、足を運ぶ際に、琉球王朝時代の沖縄の歴史書物に目を通してみてはいかがでしょうか?

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沖縄が誕生するまでの歴史や文化を歴史学者がわかりやすく面白いマンガで解説したものです。

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